9
さすがは草食系鹿類の脚、途轍もなく速かったものの、
「ゾロ、こっちだ。」
こっちは此処で生まれ育ったルフィという地の利の鬼がいる。家庭教師やサンジを撒いての鬼ごっこをさんざしたお陰様、土地勘で彼に敵う者はなく、迷路状になった茂みの隠れ通路も、彼が生まれる前から棟梁格の庭師の皆様よりも、たくさん知っている恐ろしさ。そんな彼なので、鹿さんの健脚による疾走に引き離されても慌てやしない。通路のない芝生や茂みを突っ切り飛び越え、あっと言う間に逃走者のやってくるところへ先回りして立ち塞がれている周到さ。あわわとたたらを踏んでの方向転換をする相手へ、
「痛かったらごめんっ。」
ルフィが構えたのは、大きなS字やU字を描く鋼の組み合わさった、スリングショットという大型のスポーツパチンコで。その動力であるゴムバンドの上へ、ビー玉ほどの何かを据えると、狙い定めてびゅんと撃つ。疾風のように一直線で相手を追ったその弾丸は、またがっていた誰かさんの頭にコツンと当たったそのまま、ぱあっとほどけて広がったのが、
「あ、わ、何でしょうかっ、これは。」
「ウソップの仕掛け玉だ。」
火花を散らして火薬が炸裂するでなし、煙がもうもうと出るでなし。ただただ、あの大きさの中へよくぞ収まっていたもんだというほどもの大きさの紙の網が、どんと広がり当たった者をくるみ込む。ルフィに持たせたものなだけに、彼とそれからその行為で狙った相手へも、危険ではないことが優先されてた作りなあたり。ウソップからの十分すぎるほどの気遣いも感じられる道具であって。
「日本の和紙で作ってあるから、そう簡単には切れないぞ。」
模造紙という言葉は、和紙を模造した紙という意味だそうで。例えば雨傘にさえ使える工夫があるほどに、よくよく研究されて作られた和紙の中には、刃物をしかも鋭く持ち出さぬ限り切れぬ、そうは破れぬ強わものもあるのだとか。それが視野を覆っての一気に広がったものだから、
「わあっ!」
大鹿は脚を取られたか、速力が出ていたのも仇となり、ずでんどうと見事に転げた。しなやかな脚が宙を掻き、その背に乗っていた人影も一緒くたになってもがいている。明るいところを避けるようにして駆けてた彼らだったが、引っ繰り返ったのは丁度常夜灯が照らす真下。それへと追いつき、まずはとゾロが手を延べて、絡まっている紙の網ごと謎の人影の二の腕あたりを掴んだ。
「怪我をさせたいわけじゃあないが、事と次第によっちゃあ容赦はしない。」
何せ此処は、この国の中枢。素性が知れない存在が闊歩していいところじゃあないからな…って、あんたが言うのもなかなか微妙なことじゃあありますが。
“うっせぇな、話の腰を折ってんじゃねぇよっ。”
すみません。話を続けて続けて。
「あんた、何処の何物だ? こんな奥まった宮で、一体 何してやがったんだ。」
ぐいと引き起こしての常夜灯へと顔をさらさせると、黒々とした髪の陰、白っぽい顔が、だが何とか隠れようとしてかそっぽを向かんという悪あがきをして見せる。そんな男へ向かって、
「そんなこたぁどうでもいい、チョッパーをどうしたんだっ、お前っ!」
ともすれば、そんな彼をこそ守るためにと、先んじてのお声掛けをしていたゾロなのに。そんな護衛官殿の肩を押しのけ、自分もまた手を延べての掴みかかった王子様だったもんだから。
「お、おいおい、ルフィ。」
物事には順番が…と言いかかった護衛官殿。そしてそんな彼の文言より早く、
「…俺、此処だよ?」
そんなお声が確かに聞こえたのが、掴み上げてた謎の人物の……向背から。え?と、王子のお顔が棒を飲んだように固まったのは、
「チョッパー?」
お友達の声は絶対に聞き間違えません、そんなルフィが、でもあれ何処だ?と。戸惑ってしまう。だってやはり此処には、彼らが追って来た怪しい誰かしかいない。
「どっかにいる声だけが聞こえてるのか?」
例えば携帯電話から、声だけ聞かせているのだろうか。なあ、どういうことだと再び腕へと力を込めたルフィだったのへ、
「………チョッパーさんは、此処にいますって。」
その人物もまた、どこか言いづらそうな声を出し。その身に絡まっていた紙の網、落ち着きゃあ外せると気がついて、ごそりごそそと外してさて。やっぱりあの大きさからほどけたとは信じがたい大量の紙網を、腕へとたくし上げつつその場から立ち上がれば、そこには転げた大鹿がいるばかり。だが、
「…あの、な? あの…俺、この人と同じ郷里の出なんだ。」
やっぱり聞こえたのは、大きな成りには似ない幼い甘さの響きが抜けぬ、チョッパーの声に間違いなくて。そして。横たわっていた鹿が、ひくりともがいた次の瞬間、
――― ぱぁっ、と
それはまるで、地面へおっこちた流れ星。カカッと音がしたかのような閃光がほとばしり、あっと思わず目許を覆う。しまったこんな仕掛けの隙に逃げられるかもと、結構焦ったゾロだったのは、まま他の皆様へは内緒の話とするとして、
「……え?」
彼らの前へ、その姿を現したのは。いつもの見慣れた、がっつりとした いい体躯の医学生さんだったのだけれども。
「え? え?」
何か変だと思ったのは、じゃあさっきまでいた鹿はどこ?という矛盾とそれから、
「何でチョッパー、そんな…パンツ一丁なんだ?」
日頃からもそりゃあ折り目正しい、行儀のいい彼だ。いくら暑いといったって、そんな格好で外を出歩くなんて考えられないことだったし、それにそれに…
「それに…なんで角があるんだ?」
「わ…っ!」
しまったというお顔ありありと、はっとして頭を押さえた彼であったが。あれれ?とすぐさま、その手で頭のあちこちを撫で回る。角とやらがどこにもないからで、ということは、
「あ、あの、ルフィ?」
「………やっぱりだ。」
今は何にも不審のない、いつものチョッパーの姿だけれど。ここまでのてんやわんやを振り返っての……もしかして、と。
『もしかして、あの大鹿がチョッパーでもあったんじゃないかって。』
『鹿じゃない、トナカイだっ!』
こんな機転を利かせられる王子様だっただなんて。それこそ意外と、ゾロがその表情を硬く硬くこわばらせてしまった、不思議な不思議な初夏の宵のお話だったそうな。
◇◇◇
………で 終わっていいお話じゃあない。夜中の王宮、古廟前から始まった奇妙な鬼ごっこ。彼らが追った不審な人物を乗っけた奇跡の鹿さんは、何がどうしてそうなっていたのか、実はトナカイの姿へも変身出来るという不思議な存在だったようで。
「信じられないことだって、気味悪がってもいいんだぞ?」
やっぱり大柄な身なの、申し訳ないと言いたげに縮めて。通路の傍ら、縁石に腰掛けたチョッパーへ、
「気味悪いとか思うような順番じゃあないだろうよ。」
何故だか、そちらさんこそ、怒ったようなお声になってるルフィだったりし。唖然としはしたが、それよりも。ルフィの妙な御機嫌の傾きの方が気になったゾロ、おやや?と眉を片方引き上げて見せれば、
「何でずっと黙ってた? 俺が面白くねぇのはそれだけだ。」
ああやっぱり…と、そこでやっと納得がいく。納得がいく自分へは不審を覚えないところまで、とうとう至っているということへは一体いつ気がつく護衛官殿なのか。…それは論が違うのでまた後日。(おいおい)
「あのさ、俺。実はこの人をずっと探してて。」
何からどう話せばいいのかな。あ、そうそう。ルフィってば、古廟に隠された何かを探ってなかったか? ここんとこ。
「うん、探ってた。」
思い切り頷いた王子が、持って来ておりましたともの、あの古い図面を取り出し、ばんっと広げて見せれば。その中の一点へ手を伸ばしたチョッパー、
「ここにあるこの印って、この人を納めた小箱の隠し場所だったんだ。」
「この人を…?」
そういえば。何かをずっと、忘れちゃあいませんか? そういえばとゾロが、そしてルフィも、お顔をそちらへ向けたれば。大鹿…もとえトナカイだったチョッパーにまたがっていた誰か様、逃げもしないでそこにおいでなままであり。随分ともさもさしたアフロヘアが邪魔で、そのお顔がよくよく覗けないが……、
―― この人を納めた小箱の隠し場所?
あ、と。ルフィが声を上げたのは、その印とやら、確か今日のお昼間に、ロビンが意味を教えてくれたマークのことでもあって。
「ともだちって意味だって、ロビンがゆってたぞ?」
「そう。俺たちの里の字でそういう意味なんだけどもな。」
つか、その図面を書き起こし、そんな印を記した人こそが、その小箱とやらをこの国へ外遊先から持ち帰った人でもある訳で。それが一体誰なのかと言えば…、
「ダダン国王…か?」
先々々代のR王国 国王陛下。その冒険譚は大人から子供にまで親しまれており、大胆にして破天荒な冒険の旅の先々で、珍しいものを見つけちゃあ多々持ち帰っていたのだけれど。
「この図面は隠されてた日記に隠し場所が書かれてたってゆう、
手の込んだ隠しようをされてた図面でさ。」
出来れば見つからない方がいい。でもって、見つかるとしたら、自分の子孫の手で見つけてほしいという隠し方…だと推理したルフィであり、
「俺は、俺たちはあまり細かいところまでは知らされてなかった。ただ、」
こっちも昔話になるけれど、不思議な生態の者ばかりで構成されてる彼らの里は、人間からは“精霊の隠れ里”なんて呼ばれてもいて。北欧の片隅、深い深い霧の向こうに、誰にも気づかれないようにと存在していたのだが。
「何代も前になるけれど。
一番近場の村の領主が、
何を望んでか大人数を募って、
俺たちを狩ろうと押し寄せて来たことがあった。」
昔は得体の知れないものになぞ、怖がって近寄らぬようにとしていたのにね。不老長寿の薬の素だの、若返りの秘薬の素だのと、よく分からない風聞に乗せられたらしくて。
「一方のこっちは、別に妖精でも何でもない。
姿や生態がちょこっと変わってるってだけ、
念を込めれば体型が変わって、何かへ特化するってだけで、
魔法なんて不思議は使えもしないのにさ。」
いやそれって十分凄いことだぞと、思いはしたが突っ込むのは避けたゾロであったのは、彼が寡黙な男であったからに他ならず。(おいおい)
「だから、先進の科学を手に踏み込まれたなら、
こっちは逃げることも出来なかろうと。」
情報だけを得てもどうすることも出来ぬまま、ただただ怯えていたところ、
「当時の長老の一人息子だった、このブルックさんが、
たった一人で人間たちをおびき寄せ、
まるきり反対へと誘導してってくれたんだって言い伝えが残ってて。」
捕まってしまったか、それとも、人一倍 長いという長寿の能力でどこまでも逃げて逃げて逃げ回ったか。その末は沓(よう)として知れぬままになっていて。
「郷里の方もどんどんと住む者が減ってった。」
いつまた、襲われるかと思ったらおちおち住まわってもいられないからって、年々少しずつ外へ出てってしまって。俺んチが最後の住人だったと思う…と、溜息混じりに呟いたチョッパーは、
「俺がそうなように、人との混血としてしか仲間は居残ってはいない今。
伝説になってるブルックさんを、探してみたくなってさ。」
その素性がばれたら、自分もいろいろな方面から追われかねない身。半獣だの精霊の生き残りだのと、調べられるか見世物にされるか。だが、だったら尚のこと、自分が隠れ里の最後の住人だっていうのなら、その証しを…伝説が本当だってことを最後にこの目で見てみたかった。気のいい探検家と意気投合したって伝承は、里のほうにも残っていたので、そんな結末となる伝説を片っ端から調べて調べて。
「それでやっとのこと辿り着いたのが、このR王国で。」
………………そいつぁ凄げぇや。
さすが“冒険王”との異名は伊達じゃあなかったダダン陛下。そんな不思議な友達を匿い、最期も見取ってやったのか。そんな存在だったこと、死後も暴かれてはなるまいぞと、子孫にその護りを託していった、永遠の約束、しっかと結んで…今に伝えた豪気な王様。
“何せ、それを受け取ったのがまた。”
きっとダダン王にも負けなかろう、器量の大きな王子様。不思議な奇跡へ向かい合っても、それへと腰が引けるどころか、何か内緒にしてないかと腹を立てるのが先だというよな。王として 人の道への筋というもの、ちゃんと通せる血統の和子。今も、腕を胸高に組んでの、どこか鹿爪らしいお顔をし、不思議極まりないお話をただただ聞いていた彼であり。
「……それで? そっちのブルックとかいう人は、じゃあ一体何物なんだ。」
随分と昔、里の人らを庇ってのこと、外の世界を逃げ回った末に、封印されてたとかいう話だったけれど。
「見るからに…普通の姿の普通のお人じゃないか。」
それとも、その人のお家こそ、外の領主に狙われるような“不老不死”の血統だったんか? それを言ったら…何処を取っても、何だか妙なお話だという印象に尽きるのだけれど。どっかが特長あるお人なのか?と訊いたルフィへ、
「ええまあ。あの私、一度見事に死んでおりまして。」
そのお顔をふと上げて見せた彼の、そのお顔こそ、
××××
「うあぁああぁぁぁ〜〜〜〜っっっ!!!!」
何だなんだどうした一体、誰か不法に侵入したかと。翡翠宮が上を下への大騒ぎになったほどもの大きな声上げ、がばちょと起きた王子様。ぜいぜいと肩で息をし、辺りをぐるりんと見回してから、
「………………夢?」
何ともセオリーどおりのお声をはなったもんだから。
「お前ね。」
「ルフィ〜〜〜。」
「人騒がせにも程がある。」
「つか、陛下、何でまた一番乗りなされてますか。」
どういう警備システムになっているやら。(笑) びっくりさせないでよねと皆様が立ち去る中、あまりにリアルな夢だったんだぞ、こんなこんなでチョッパーがなんと精霊の里の末裔で…と。その一部始終を語ったのは、その日のお茶の時間の話だが。何処までがホントで何処からが夢だったのやら。ひどいなぁ、俺が精霊だなんて。でもでも、カッコよかったぞ? 凄っごい綺麗なトナカイだったし。鹿と間違え倒してたくせによ…なんて。ひとしきり沸いた、この夢のお話。実は、皆して後日になって再び思い出してしまうこととなる。
『初めまして。私、ブルックと申します。』
そうと名乗るお人が、王宮へ加わることとなる日が来るから……。
〜Fine〜 09.07.13.〜09.23.
*あああ、禁断の“夢オチ”になってしまいましただ。
いえね、実はアルバトロスの“うふふのふ”みたいな、
ウソップの創作でした仕立てにしようかと思ってたのですが、
このシリーズのウソップは、
しまったメカニックじゃんかと思い出しまして。
それと気づいてからも、別段、支障はないかとも思ったものの、
やっぱり無理強いになってるような気が抜けず。
そこでのこういう落ちとなってしまった不手際、
どうかお許しくださいませ。
でもって、じゃああの図面はどうなったんでしょうかね?
怖い夢を見たんで、ルフィも封印しちゃったかな?(笑)
**

|